鈴木バイオリン製造の創始者鈴木政吉についてご紹介しています。

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7.アインシュタインからの手紙

7.アインシュタインからの手紙

大正15年(1926年)10月、長男梅雄、三男鎮一が渡独した際の賞賛の評価を出した中に、相対性理論の提唱者として有名なアルバート・アインシュタイン博士もいました。

バイオリンをこよなく愛する博士は、天才バイオリニストのフリッツ・クライスラーの友人でもあります。
政吉の作品を手にした折、ドイツ人製作の愛用のバイオリンと弾き比べ、「音の出方、音の価値については到底貴下の父親の作品に比する価値はない。自分の一生はもちろん、永く家宝として愛用したい。」ともらしたのです。

その後、親交ある多数の学者、音楽家を招き家庭演奏会を催す中で、政吉の作品を披露します。その席に居合わせたバイオリン製作家は、細部にわたり熟視・検討した上で感嘆し、「かかる音色は200年前イタリアの巨匠の手によるもの以外、世界のどこにも求めることはできない。然るに現代の新作品で、なおかつ日本で、古代の名器と同じ音色を出すものが造り出されるとは、まったく不思議というほかない。これは人間業ではない」と驚嘆したといいます。

その翌月の11月2日、アインシュタイン博士は政吉へ一通の手紙をかいています。

7.アインシュタインからの手紙

1926年11月2日
鈴木政吉 様

拝啓
昨日、御令息のお二人に拙宅へおいでいただきました。政吉様の製作されたバイオリン4本を謹んで拝見いたしました。このうち1本を選出するようにとのことでした。

私宅には、2本のバイオリンがございますが、1本はベルリンの由緒ある製作家により造られたるバイオリンです。私がとても愛好しているものです。

この1本と貴台製作のものとすべての点において比較いたしました。
各器をかわるがわる試奏しては、隣室において音色を聞き、どちらのバイオリンが良いかを判断しようと試みたのです。
両令息も私も、貴器が優秀だという意見で一致いたしました。

この政吉様の力のこもれる御贈品に対して、深く感謝を申し述べますとともに、最優秀なる貴台の芸術作品に対して驚嘆の念を禁じえません。


アルバート・アインシュタイン

8.受け継がれる情熱

8.受け継がれる情熱

昭和5年(1930年)、株式会社として鈴木バイオリンは改組します。

時代の流れが厳しい中、それでもなお政吉は経営を続け、製作にかける情熱を冷ますことなく、バイオリンに一生を尽していきます。
そして昭和16年には長男梅雄を社長に就任させ、名実ともに経営が継承されました。

昭和19年(1944年)の1月、政吉は永眠する3日前まで仕事に打ち込んでいたといいます。事業家というより、あくまでも職人としてバイオリンに人生を賭け、生涯製作を楽しみ抜いた政吉が、バイオリンを初めて製作して120年余り、現在もなおその技術と情熱が受け継がれ生き続けているのです。

政吉の胸像について
政吉の胸像について
この胸像は、日本弦楽器製造の始祖を讃えその長寿を祝う記念として、広く全国に募金をよびかけ完成した像です。

ところが日ごとに激化する戦争のため、建立間際の中止を余儀なくされました。疎開先の恵那工場に運び込まれていた像は、戦後の昭和30年の春にようやく現本社の入り口に移設され、今日に至っています。


【参考文献】
大野木吉兵衛 浜松短期大学研究論集 24・25号
(1981.12、1982.6)
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